息子が東大に進学しても全然安心できない理由
この春、長男は1浪の末東大に合格し進学しました。
浪人中は東大に合格すればさそがし金銭的にも精神的にもゆとりができるだろうと思っていたのですが、いざ東大に合格しても涙は出ず浮かれた気持ちにもならず、金銭的にはそれほど楽にはならず、精神的には少しは楽になりましたが心配はまだまだ尽きません。
このもやっとした気持ちは何だろうと思っていたのですが、先日林修先生の講演会に行って聞いた話ではっきりしたんです。
東大に入りやすくなった時代
長男が東大に合格した時、もちろん嬉しかったですし誇らしい気持ちにもなりました。
それと同時に“この子が東大ねぇ”という気持ちも(息子には言えませんが)ありました。
もちろん受験勉強は頑張っていましたし、模試の判定もそれなりに良かったです。
でも小学校から中学・高校と見てきて、1番の成績なんて取ったことはなかったし、ずっと上には上がいる状態でした。
“中の上”くらいかなと。
でも、東大は日本の大学の中で1番です。
1学年約3,000人です。
自分の息子がその中に入っているのが信じられなかったんです。
先日東進ハイスクールの保護者説明会の中で林修先生の講演会があって、その中で聞いたお話で納得できました。
林先生は、ずっと高2の添削は自らされているようです。
高2の回答を見てきて“こいつは落ちる”という子の名前をノート(通称“デスノート”)に記録していたそうなのですが、合格発表の後ノートと照らし合わせて大体当たっていたようなのです。
ところが最近はそれが外れ、林先生の“デスノート”に名前が載った子も受かるようになったとのこと。
つまり、以前なら考えられないようなレベルの子がどんどん東大に受かってしまうらしいのです。
なぜ東大に受かりやすいかというと、少子化と地元志向、医学部志向のためです。
子供の数が圧倒的に少なくなっているのに定員は変わらず、地方の優秀な子供が東大ではなく地元の大学に進学し、東大レベルの子供が東大ではなく医学部に進学してしまうのです。
もちろん、東大に余裕で合格できるトップ層は優秀です。
何度入試をしても合格できるでしょう。
しかしギリギリ合格したような子は、また入試をすれば落ちる可能性があります。
だから、一口に“東大”と言ってもその中でも差が大きいのです。
息子は合格時はギリギリではなかったですが浪人しているので、現役で合格した子に比べれば劣るでしょう。
耳が痛いお話でした。
多くの東大生に足りないもの
ご存じの通り林先生はタレント活動も積極的にされていて、様々なたくましい人達を見ておられます。
厳しい世界の中でも、特に芸能界は生き残るのが難しい世界でしょう。
そういう人達を見てきて、一方多くの東大生や東大を卒業したものの仕事があまり上手くいっていない人達を見ると“ちょっと弱いな”というのが正直な感想だそうです。
例えば、その仕事が上手くいっていない卒業生の第一印象が“優秀で誠実だが鈍重”。
東大生の中には、能力は高いがその能力の高さを生かす場所を得る能力が低い人が多いようです。
一方、能力以上に自分を生かす場所を得る能力の高い人がいて、そういう人達が社会を上手に渡っている場面をよく見ます。
そういう人達は勉強とか学歴とは関係ない、社会を生き抜く力があります。
“機を見るに敏”
この能力が東大生に欠けていると言います。
そして、このような能力を身に付けるのは家庭だとも。
勉強だけを素直にしていれば勉強はできるようにはなるかもしれませんが、ネズミのようにすばしこく上手に世の中を立ち回る人達には負けます。
東大に合格させるために必要以上に受験生に気を遣うのではなく、東大合格をイベントにするわけではなく、あくまで東大合格は通過点。
重要なのはこれからです。
東大に合格するにしても点の取り方が重要で、単に点の取り方を覚えて合格点を超えて大学に入るのか、自分流の頭の使い方を鍛える場として受験を上手く利用して結果として入試を突破するのか、この違いが大きく差となって表れる時代になりました。
そういう時代の中で東大生であるという特権意識を持たせないことが大事だと。
特権意識をコテンパンに壊すのが家庭の役目だと。
身が引き締まるお話でした。
まとめ
大学生活は楽しそうなのでその点は安心しているのですが、将来を考えると今のままではマズイ。
何となく不安を感じていたのですが、林先生のお話でその不安が具体化された気がします。
寿命を考えると大学を卒業してからが本当に長く、この変化の多い時代を上手く生き抜いていける能力を得るためにはどうすればいいのか、これからも考え続けていかなくてはいけません。
子育てを卒業できる日はいつになるのでしょうか。